海の底の景色をうつすと言われる漆器
若狭塗(わかさぬり)は、福井県小浜市を中心に作られてきた伝統的な漆器です。
江戸時代の地誌『稚狭考(ちしゃこう)』(明和4年・1767年)には、
「若狭塗とはもともと海底の様子を図案として塗り、研ぎ出すもの」と記されており、
若狭湾の海の底の景色を表現した漆器であることが伝えられています。
この技法をはじめた人物として、小浜城下の塗師 松浦三十郎 の名が伝えられており、
彼が考案した「菊塵塗(きくじんぬり)」が若狭塗の始まりとされています。
こうして生まれた若狭塗は、江戸時代から現在まで約400年にわたり、この地域で受け継がれてきました。
「研ぎ出し」が生む、唯一無二の模様
若狭塗の最大の特徴は、「研ぎ出し」と呼ばれる技法にあります。
卵殻や貝殻、松葉などの素材を漆の上に配置し、その上から何層にも漆を塗り重ねます。
その後、砥石や炭を用いて表面を丁寧に研ぎ出すことで、内部に埋め込まれた模様が浮かび上がります。
この工程によって生まれる模様は、まるで海底の景色や夜空の星のような奥行きを持ちます。
素材の置き方や研ぎ方は職人の感覚によって変わるため、同じ模様の作品は二つとありません。
江戸時代の発展
若狭塗は江戸時代に入ると、小浜藩の重要な産業として発展しました。
小浜藩主 酒井忠勝 はこの工芸を奨励し、塗師や木地師を江戸に呼び寄せて制作を行わせるなど、若狭塗を広めるための取り組みを行っています。
万治年間(1658〜1661年)頃には金箔や銀箔を用いた技法が加わり、現在の若狭塗の基礎となる技術が整えられました。
江戸後期になると技法はさらに多様化し、螺鈿や蒔絵を組み合わせた作品や、卵箔を使った装飾なども生まれました。
砥出文様は200種類以上に広がり、「花衣」「松風」などの美しい名前が付けられています。
明治時代の危機と再興
明治維新により藩の保護を失うと、若狭塗は一時衰退の危機に直面しました。
明治15年頃には産業として存続が危ぶまれるほどでした。
しかし職人たちは団結して市場開拓を進め、海外への輸出を行うことで再び発展の道を切り開きます。
パリ万国博覧会などに出品された日本の漆器は高く評価され、若狭塗も再興を果たしました。
現在の若狭塗に見られる卵殻を使った模様づくりも、この時期の工夫から定着した技法とされています。
現代へ受け継がれる若狭塗
このように若狭塗は、海の景色を写した独特の文様と「研ぎ出し」の技法を特徴とする漆器として発展してきました。
時代とともに用途は変化しながらも、その技術は受け継がれ、
現在では箸をはじめとする日用品やさまざまな工芸品に生かされています。
400年以上続く若狭の漆の文化は、今も職人の手によって新しい形へと受け継がれています。